2018年2月26日月曜日

中国西安紀行(3)西安市内

平成28年8月12日(金) 西安市内

西安城壁西門

この日最初に訪れたのは唐の時代の日本と中国との歴史的関係をうかがい知ることができる西安西北大学内の博物館。

やはり唐の都長安と言えば遣唐使。
遣唐使の渡ったルートが示されたパネルや、遣隋使や遣唐使の一覧表が掲示されている。





こちらは井真成の墓誌(上)とその拓本(下)。





墓誌によると、717年に第八次遣唐使の一員として、玄昉、吉備真備、阿倍仲麻呂らと中国に渡り、734年に36歳の若さで中国で亡くなったとされる。
734年に36歳ということは唐にやってきた時は阿倍仲麻呂と同じく弱冠19歳。遣唐使に選ばれるくらいだから相当の秀才だったのだろう。
735年には吉備真備と玄昉が帰国しているので、惜しくもその1年前に亡くなったことになる。いやそれとも阿倍仲麻呂と同じく、時の皇帝・玄宗に気に入られ帰国させてもらえなかったか。

何日もかけて命がけで東シナ海を渡ってきた遣唐使のことを思うと、中国東方航空で成田からわずか5時間でこの地に来て、4日の日程で帰る私たちのことが申し訳ない気持ちになるが、日本に帰国後、その年の10月から八王子の東京富士美術館で始まった「漢字三千年-漢字の歴史と美」でこの墓誌が日本に里帰りしたという記事を新聞で見て、何となくほっとした気分になった。

あっ、鑑真和上像の写真だ!
そう、鑑真は何度も難破しながら来日して奈良の唐招提寺を建立した有名な唐の僧。
やはり西安(長安)は日本とのつながりは深い。


西安は歴史の層が幾重にも積み重なっている。
当時の貴族のお墓からは多くの副葬品が出てくる。
それにしてもこれだけ揃うと壮観。




続いて西安城壁へ。

こちらはホテル近くの長楽門。
こういった城壁が市域をぐるりと取り囲んでいる。


現存する城壁は唐の長安城を基礎に、1370年代にレンガを積み重ねて築かれたもの。
こちらは西安のシンボル、西の城門。シルクロードの起点である。



上に登ると城壁の幅はかなり広い。


全長は13.7㎞、幅は12~14m。レンタサイクルで1周することもできる。


(次回に続く)