2015年1月13日火曜日

京都・新春美術散歩

先週末、「琳派誕生400年記念」で盛り上がる京都に行って来ました。
いきなり400年といわれてもピンとこないのですが、どうやら今年は本阿弥光悦が京都・鷹峯に芸術村を開いてから400年にあたるとのことです。
もちろん、ご承知のように「琳派」ということばは明治になって使われるようになったもので、光悦も宗達も、琳派のいわれとなった尾形光琳も、光琳に私淑した酒井抱一も、狩野派や円山派の絵師たちと違って、自分たちは「琳派」だ、と意識したり名乗ったりしたわけではありませんが、今年は琳派をテーマにした美術展があちこちの美術館で開催されるので、私も今年は「琳派400年」に便乗して琳派芸術鑑賞を楽しみたいと思っています。

さて、初日(1月10日土曜日)。
最初に行ったのは「京の冬の旅」で特別公開されている妙心寺の塔頭・衡梅院(こうばいいん)。


こちらは琳派でなく、狩野派の絵師・大岡春卜(おおおかしゅんぼく)の水墨障壁画「龍虎羅漢図」「獅子図」を拝見することができます。
室中を飾る「龍虎羅漢図」は、羅漢さんの説教をしおらしく聞いている龍と虎がとてもほほえましく感じられました。

お庭「四河一源の庭」もよく手入れがいきとどいていて、


400年前に建てられ、大正期にここに移築された茶室「長法庵」も趣があります。




公開は3月18日までです。詳しくは京都市観光協会のサイトをご参照ください。

衡梅院をあとにして、妙心寺大方丈の前を通りかかると、この日は大方丈の戸が開いていました。
法堂拝観受付の方におうかがいしたところ、今日は大方丈を無料開放しているとのこと。

さっそく仏間に入ったところ、なんと仏壇の両脇にあの山楽の「龍虎図屏風」が。
これはデジタル複製ですが、レプリカでも実際にお堂の中に展示されているとしっくりきます。
写真撮影も可、とのことなので写真もとらせていただきました。
(狩野山楽「龍虎図屏風」は1月10日から12日までの展示でした。紹介がおそくなってすみません)






この「龍虎図屏風」、本物を見たのは2年前のゴールデンウィークに京都国立博物館で開催された「狩野山楽・山雪展」以来。レプリカを見たのは、4年前に東京駅近くの東海東京証券で開催された「京都・美の継承~文化財デジタルアーカイブ展」以来。
いつ見てもこの龍虎対決は迫力があります。

ここまでは狩野派でしたが、次は琳派の租・俵屋宗達です。
昼食後に行ったのが西陣織会館。
1月7日の朝日新聞に、宗達の「風神雷神図屏風」を西陣織の伝統技法を使って7年がかりで再現したものを6日から西陣織会館で一般公開している、との記事があったので行ってみました。

会館に着いたのが2時10分過ぎ。
受付の女性(もちろん着物姿)から「2時15分から1階ステージできものショーが始まるのでぜひどうぞ」と教えていただいたので、着物にはうとい私ですが、せっかくの機会なので拝見することにしました。

1階ステージの看板も「琳派400年記念きものショー」


あでやかな振袖も、しっとり落ち着いた色の着物も、どれもきれいで、見る人の目を楽しませてくれました。

このあとは3階ホールに展示されている「風神雷神」。
写真撮影不可で、みなさんにその素晴らしい織物をお見せできないのは残念です。
展示は1月17日(土)までなのでお見逃しなく。
詳しくは西陣織会館のサイトをご覧ください。

この日の最後は相国寺・承天閣美術館「花鳥画展」(~3月22日)。
長谷川等伯の「竹林猿猴図屏風」には2010年に開催された等伯展以来5年ぶりにお目にかかることができました。やっぱり等伯は存在感あります。



相国寺をあとにしてバスで東大路通りを下っていると、八坂神社の門の前に赤いのぼりがいくつもならび、いつに増して多くの参拝者が門の中に入るのが見えました。
なんだろうと思い祇園のバス停で降りてみると、この日は「十日ゑびす」の日。
祇園ゑべっさんの前に列ができていたので私も並び、ゑびすさんにお参り。

「商売繁盛で笹もってこい。祇園のゑびすに笹もってこい」


翌11日(日)は、琳派コレクションが中心の黎明教会資料研修室、「千總460年の歴史展」が開催されている京都文化博物館、そして最後は京都国立博物館の常設展と、美術館をはしごしてさすがに足も頭も疲れましたが、どれも素晴らしい作品を見ることができ、満ち足りた気分で帰路につきました。

これは京都文化博物館のおみやげ。次回特別展「京を描く」の割引引換券です。
折り目どおりに折ると、はい卓上洛中洛外図屏風(歴博乙本)のできあがり。


妙心寺大方丈の「龍虎図屏風」といい、西陣織会館のきものショーといい、十日ゑびすといい、全くの偶然でいいものにめぐり会えるのも1300年の都・京都のおもしろさ。
やはり今年も京都通いはやめられません。
<Y>

2015年1月2日金曜日

鎌倉・新春散歩

あけましておめでとうございます。
昨年中は「散歩道」にお付き合いいただきありがとうございました。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

今日は新春の日差しに誘われてふらりと鎌倉に初詣に行ってきました。
JR鎌倉駅に着いたのが午後2時半過ぎ。
最初に向かったのが鎌倉五山第三位の寿福寺。

寿福寺の外門

このお寺は、普段は外門から参道を通った先にある山門が閉まっていて仏殿まで入れないのですが、今日は中まで入ることができました。
仏殿の前まで進み格子のすき間から仏殿の中をのぞくと、ひっそりとたたずむご本尊の釈迦如来さまの姿が暗闇の中に浮かびあがってきました。そして、暗がりに目が慣れてくると両脇に高さ3メートルはあろうかという迫力ある立派な仁王像が!

仏 殿

こちらは仏殿前にある四株のビャクシンの木のうちの一株。

私たちが参拝している間にも次から次へと山門をくぐって人が入ってきました。中には中国や韓国の若い人たちのグループも。寿福寺がこの時期に開門することは意外にもよく知られていることなのでしょうか。

寿福寺でお参りしたあとは亀ヶ谷坂を越えて円覚寺へ。
円覚寺に来たのは2010年11月の「宝物風入」以来久しぶり。拝観料もスイカ・パスモ対応になっていました。


円覚寺山門


書院庭園の池の氷は午後になっても溶けないままで、氷の上をハクセキレイがちょこちょこ歩いていて、氷の隙間から餌をとっていました。所々氷のないところに落ちそうになって羽をバタバタさせるしぐさがとてもユーモラスでした。



円覚寺では国宝の舎利殿が特別に公開されていました。


唐様式の舎利殿

もう一つの特別公開は、普段は有料(100円)の佛日庵の無料公開。
本堂に上がってお参りして、お庭を歩いていたら魯迅寄贈の泰山木がありました。
先週上海に行って魯迅記念館に行ってきたばかりなので、驚いて「魯迅だ」と声をあげたら、お寺の方が「こちらにも一本ありますよ」と近くにあった白木蓮を指差してくれた。「魯迅さんは日本で悩んでいた時に鎌倉に来て心が落ち着いたので木を寄贈してくれたのでしょう」


一番奥の黄梅院まで行くとちょうど閉山時間の4時になったので下山することにしました。


わずか3時間あまりの短い散歩でしたが、思いもかけず立派な仁王様を見たり、魯迅寄贈の木を見たり、やはり歴史のある鎌倉は奥が深いとあらためて実感した午後の散歩でした。
〈Y〉





2014年12月2日火曜日

瀬戸内・南紀美術紀行(5)無量寺・熊野三山

またまたアップが遅くなってしまいましたが、昨年末から今年初めにかけて行ってきた南紀紀行を紹介します。

平成25年12月31日(火)~平成26年1月2日(木)

長沢芦雪の龍虎図襖絵が見たくなって年末年始に南紀までやってきた。
めざすは串本町の無量寺にある応挙芦雪館。


かわいい応挙の虎とは対照的に、応挙の弟子 芦雪の躍動感あふれる虎と龍の襖絵は、平成23年にMIHOミュージアムで開催された芦雪展でお目にかかっていたが、以前から一度は現地で見てみたいと思っていた。

無量寺(右の案内板の絵は虎と龍のアップ)



龍虎図はもともと本堂室中の東西の襖絵だったが、現在では境内の中にある「応挙芦雪館」に収蔵されている。
荒天のときは収蔵庫に雨が降り込んで作品を傷めてしまうので入場できないが、この日は幸いにも晴れ。
お寺の方の案内で「応挙芦雪館」に入る。

まずは応挙の襖絵12面。
この襖絵は、津波で流された無量寺が天明6年(1786年)に再建された時に新築祝いとして応挙が描いたもので、応挙は弟子の芦雪に託して襖絵を贈った。

こうして串本まで来た芦雪は、わずか1年足らずの滞在の間ではあったが、気候も温暖で、海の幸も豊富な南紀の風土の中で創作に励んだ。
「応挙芦雪館」には「龍虎図襖絵」だけでなく、子どもたちのしぐさをユーモラスに描いた「唐子琴棋書画図」もあり、こちらも逸品。

応挙芦雪館のあとに案内されたのが本堂。
この日は元旦だったので、本堂では檀家さんの法事が行われていたが、ちょうど終わったところ。
檀家さんと一緒に住職さんも出てこられたが、とても気さくな方で、私たちに芦雪の襖絵のことやお寺の由来などを説明してくださった。

本堂にある龍虎図はレプリカだが、それでも襖は本来あるべきところにあるとしっくりくる。
そんなことを考えながら虎と龍の襖絵を眺めていたら、いきなり虎図の方の襖が開いて、檀家さんの子どもが入ってきた。
いくらレプリカとはいえ芦雪の絵の描かれている襖を開けたのには驚いたが、この身近な感覚はレプリカならではなのだろう。

無量寺の次は串本の駅前からバスに乗り潮岬へ。
真冬というのにまるで沖縄のような青い空。フェニックスの木も茂っている。


毎年、寒くなると行っている沖縄のことを思い出した。
今年は南紀に来たので沖縄には行かなかったが、南紀もやはり南国。
なんとなく沖縄に通じる「ゆるい」感じが心地よい。
それに新宮には徐福公園もあり、この門の奥には首里城があるのではと錯覚してしまう。


公園の中には徐福の像がある。徐福は今から2200年ほど前、秦の始皇帝に「東方海上の三神山にある不老不死の霊薬をとってこい」と命令され、船に乗って東に向かったが、たどり着いたのがこの熊野だったと言い伝えられている。そして気候温暖、風光明媚、さらには土地の人々の温かい友情に触れ、この地を永住の地と決め、土地を拓き、農耕、漁法、捕鯨、紙すきなどの技術をこの地に伝えたと言われている。(新宮市観光協会のホームページより)

                 

お昼は串本駅前にある地元のスーパー「オークワ」で買ったサンマ寿司と太巻の折詰。
冬になると時雨(しぐ)れて寒い京都から温暖な南紀にやって来た芦雪も、とれたての魚をおいしく味わったのかな、と勝手な空想をしながらサンマ寿司をほおばった。
潮岬の雄大な景色を見ながらだったので、味もまた格別だった。



今回の南紀紀行のもう一つの楽しみは熊野三山めぐり。
12月31日には熊野本宮と熊野速玉大社にお参りしてきた。

大斎原(熊野本宮大社旧社地) 

熊野本宮の社殿は熊野川の中州にあったが、明治22年の熊野川の大洪水のあと高台に移築されている。以前読んだ本に、紀州徳川藩が厳しく熊野の森林を管理していたが、明治維新後の乱伐で森林が荒廃して熊野川が氾濫したと書かれていたのを思い出した。

現在の社殿

 本宮に通じる階段

新宮市内に戻り熊野速玉大社にお参り


今回の南紀紀行では、串本や熊野三山のへの交通アクセスも良く、スーパー「オークワ」もあって買い物にも便利だったので新宮市内に宿をとった。
こちらは「オークワ」で見つけた日本酒「熊野三山」。




1月2日の早朝には新宮市街地の後方、神倉山上にある神倉神社にお参りをしてきた。
急な石段を延々と登っていくと、熊野の神々が最初に降臨されたと伝わる大きなゴトビキ岩が見えてくる。

              

社殿から見た新宮市街。朝の光がちょうど街を照らし始めていた。

              

源頼朝が寄進したと伝えられる500段あまりの急な石段。
毎年2月6日に行われるお燈祭りでは、2000人余りの上り子とい呼ばれる祈願者たちが新年のご神火を手にこの急な石段を駆け下りるという。

              

      
そして最後は熊野那智大社。
紀伊勝浦駅からバスに乗ったが終点の「那智山」まで行かずに、途中のバス停「大門坂駐車場前」で降りて、石段が約650mも続く大門坂を延々と登って行った。
この道は、昔の人たちが熊野三山にお参りするために通った熊野古道。
これで少しは往時の熊野詣の雰囲気を味わうことができた。


三重塔と那智の滝。
              

那智の滝前の飛瀧神社まで来てお参りしていたら、今まであった滝の上の雲がすーっと消えていった。
このときふと、今年もきっといい年になる、そんな予感がした。
                  


帰る時間が近づいてきた。
那智勝浦駅で新宮行きのバスに乗り換え、宿泊したホテルで預けた荷物を受け取り、あわただしく特急列車に乗り込んだ。
南紀はとても居心地のいいところだった、と思いつつ窓の外に視線を移すと、神倉山の上にゴトビキ岩が鎮座しているのがよく見えた。心の中で「また来ます」と言ってお別れのあいさつをしていたら、列車は少しづつ動き始めていった。

(「瀬戸内・南紀美術紀行」終わり)
<Y>

2014年11月24日月曜日

夏の京都週末日帰り旅(2)苔寺

アップが遅くなりましたが、8月23日(土)に行った京都週末日帰り旅第2弾、西芳寺(苔寺)を紹介します。



(ここはせせらぎが池に流れ込むところで、私が一番気に入ったポイント。水の流れる涼しげな音と蝉の声がいかにも夏らしく感じられました)

子どもの頃、お土産にもらった京都の絵葉書で庭の素晴らしさを見て以来、行きたいと思っていた苔寺。今年の夏にフィフティプラスのツアーが出ていたので、すかさず申し込みました。
(前回の待庵といい、苔寺といい、フィフティプラスは通っぽいツアーを出してくれるので、毎月のパンフレットを見るのが本当に楽しみです)

朝8時半すぎに京都駅に着いて、そこからバスで西芳寺へ。
まずは本堂に参拝者全員が集まり般若心経の読経。
続いて護摩木に筆で願い事を書いて納めるのですが、子どもの頃書道を習っていたにもかかわらずなんとも下手な字。もっと毛筆の練習をしなくては思いつつも、心を込めて書いたのだからと納得して御本尊様の前に置き、合掌。


続いて庭園の方に移動して、お寺の方から庭園の説明をいただいてから、広い園内を散策。
庭一面の苔は120種類以上あるそうです。


庭園はどこを見ても絵になります。



こちらは少庵堂茶室。

池も絵になってます。

鎮守堂と橋、そして右奥には小舟も。

みんなが撮っていたので、潭北亭の丸窓からパチリ。

 こちらは重要文化財の湘南亭茶室。

真夏の暑さの中、襲いかかってくる蚊の攻撃を防ぎながら苔むした庭園を守る庭師さんたちも大変な重労働です。素晴らしい庭園を楽しませていただきありがとうございました。

1時間余りのゆったりとした時間を苔寺で過ごした後は、天龍寺へ。
そう、今回のツアーは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて京都で活躍した臨済宗の僧 夢窓疎石(1275~1351)ゆかりのお寺を訪ねる旅なのです。
西芳寺は、奈良時代に行基菩薩の開創と伝えられていますが、兵乱などで荒廃した後、歴応2年(1339年)に夢窓疎石により再建され、天龍寺は、嵯峨嵐山の地に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、同じく歴応2年(1339年)に夢窓疎石を開山として開かれました。




お昼は天龍寺境内の中の龍門亭にある「篩月」で精進料理。


茄子の味噌田楽も、お麩も、豆腐も白和えも、落ち着いた客間でゆったりと味わうことができて、とても美味でした。
こういった上品な席で困るのが、大食いの私にとっては料理の量が少ないこと。
そこで賄いの方にこっそり「ご飯のおかわりできますか」と聞いたところ、笑顔で「できますよ」。
おかげでおなかいっぱいになりました。



食後は庭園を散策。
曹源池庭園は、夢窓疎石作庭等の面影をとどめているとのことです。
後方は借景の嵐山。




最後は足利尊氏が夢窓疎石を開山として中興した等持院。
等持院は足利将軍家の菩提寺で、霊光殿には歴代足利将軍(年少で病没した五代将軍・義量と、最後の将軍となった義昭とともに上洛した織田信長に追い出された第十四代・義栄を除く)と、廃仏毀釈後に石清水八幡宮から移された徳川家康の木像が安置されています。



実はこの等持院、足利将軍の木像がとても気に入っていて、来るのは3回目ですが、将軍それぞれに特徴があって、いつ見ても新たな発見があります。

たとえば、幕府の最盛期をつくった三代将軍・義満の木像はひときわ大きく、立派なあごひげをたくわえていていかにも威厳がありそうとか、失いかけた幕府の威信を高めたが、一方で気に入らない相手は誰でも処罰してしまう「万人恐怖の世」をつくった六代将軍・義教はどこか神経質そうな顔をしているとか、政治をほっぽらかしにして応仁の乱を招いた八代将軍・義政は能天気な顔をしているとか。

方丈では住職さんからお寺の由来などをおうかがいしながら、抹茶をいただきました。


庭園も緑があざやかできれいです。
正面は、政治には無頓着だったが日本文化を大事にして茶道を興じた義政好みと伝わる茶室「清漣亭」。



今年も3月の京の冬の旅に始まって、ゴールデンウィークの建仁寺、7月の待庵、8月の苔寺、11月の京都国立博物館「国宝 鳥獣戯画と高山寺」と奈良国立博物館「正倉院展」、と関西方面にはよく来ました。そのどれもが日帰りか1泊2日の短い旅でしたが、ふらりと来る、といった感覚はとても気に入っています。
来年もさっそく1月に1泊2日で京都に行きますが、やはりこの「ふらり京都旅」、当分はやめられそうもないです。
<Y>