2014年11月24日月曜日

夏の京都週末日帰り旅(2)苔寺

アップが遅くなりましたが、8月23日(土)に行った京都週末日帰り旅第2弾、西芳寺(苔寺)を紹介します。



(ここはせせらぎが池に流れ込むところで、私が一番気に入ったポイント。水の流れる涼しげな音と蝉の声がいかにも夏らしく感じられました)

子どもの頃、お土産にもらった京都の絵葉書で庭の素晴らしさを見て以来、行きたいと思っていた苔寺。今年の夏にフィフティプラスのツアーが出ていたので、すかさず申し込みました。
(前回の待庵といい、苔寺といい、フィフティプラスは通っぽいツアーを出してくれるので、毎月のパンフレットを見るのが本当に楽しみです)

朝8時半すぎに京都駅に着いて、そこからバスで西芳寺へ。
まずは本堂に参拝者全員が集まり般若心経の読経。
続いて護摩木に筆で願い事を書いて納めるのですが、子どもの頃書道を習っていたにもかかわらずなんとも下手な字。もっと毛筆の練習をしなくては思いつつも、心を込めて書いたのだからと納得して御本尊様の前に置き、合掌。


続いて庭園の方に移動して、お寺の方から庭園の説明をいただいてから、広い園内を散策。
庭一面の苔は120種類以上あるそうです。


庭園はどこを見ても絵になります。



こちらは少庵堂茶室。

池も絵になってます。

鎮守堂と橋、そして右奥には小舟も。

みんなが撮っていたので、潭北亭の丸窓からパチリ。

 こちらは重要文化財の湘南亭茶室。

真夏の暑さの中、襲いかかってくる蚊の攻撃を防ぎながら苔むした庭園を守る庭師さんたちも大変な重労働です。素晴らしい庭園を楽しませていただきありがとうございました。

1時間余りのゆったりとした時間を苔寺で過ごした後は、天龍寺へ。
そう、今回のツアーは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて京都で活躍した臨済宗の僧 夢窓疎石(1275~1351)ゆかりのお寺を訪ねる旅なのです。
西芳寺は、奈良時代に行基菩薩の開創と伝えられていますが、兵乱などで荒廃した後、歴応2年(1339年)に夢窓疎石により再建され、天龍寺は、嵯峨嵐山の地に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、同じく歴応2年(1339年)に夢窓疎石を開山として開かれました。




お昼は天龍寺境内の中の龍門亭にある「篩月」で精進料理。


茄子の味噌田楽も、お麩も、豆腐も白和えも、落ち着いた客間でゆったりと味わうことができて、とても美味でした。
こういった上品な席で困るのが、大食いの私にとっては料理の量が少ないこと。
そこで賄いの方にこっそり「ご飯のおかわりできますか」と聞いたところ、笑顔で「できますよ」。
おかげでおなかいっぱいになりました。



食後は庭園を散策。
曹源池庭園は、夢窓疎石作庭等の面影をとどめているとのことです。
後方は借景の嵐山。




最後は足利尊氏が夢窓疎石を開山として中興した等持院。
等持院は足利将軍家の菩提寺で、霊光殿には歴代足利将軍(年少で病没した五代将軍・義量と、最後の将軍となった義昭とともに上洛した織田信長に追い出された第十四代・義栄を除く)と、廃仏毀釈後に石清水八幡宮から移された徳川家康の木像が安置されています。



実はこの等持院、足利将軍の木像がとても気に入っていて、来るのは3回目ですが、将軍それぞれに特徴があって、いつ見ても新たな発見があります。

たとえば、幕府の最盛期をつくった三代将軍・義満の木像はひときわ大きく、立派なあごひげをたくわえていていかにも威厳がありそうとか、失いかけた幕府の威信を高めたが、一方で気に入らない相手は誰でも処罰してしまう「万人恐怖の世」をつくった六代将軍・義教はどこか神経質そうな顔をしているとか、政治をほっぽらかしにして応仁の乱を招いた八代将軍・義政は能天気な顔をしているとか。

方丈では住職さんからお寺の由来などをおうかがいしながら、抹茶をいただきました。


庭園も緑があざやかできれいです。
正面は、政治には無頓着だったが日本文化を大事にして茶道を興じた義政好みと伝わる茶室「清漣亭」。



今年も3月の京の冬の旅に始まって、ゴールデンウィークの建仁寺、7月の待庵、8月の苔寺、11月の京都国立博物館「国宝 鳥獣戯画と高山寺」と奈良国立博物館「正倉院展」、と関西方面にはよく来ました。そのどれもが日帰りか1泊2日の短い旅でしたが、ふらりと来る、といった感覚はとても気に入っています。
来年もさっそく1月に1泊2日で京都に行きますが、やはりこの「ふらり京都旅」、当分はやめられそうもないです。
<Y>

2014年10月29日水曜日

瀬戸内・南紀美術紀行(4)金刀比羅参り

平成25年12月23日(日)金刀比羅参り
この日は終日フリーだったので、ホテルでゆっくり朝食を食べてから琴電の高松築港駅に向かった。


高松築港駅から琴電琴平までは約1時間。子どもみたいに一番前の席に陣取り、しばらく車窓を眺めることにした。

市街地を抜けるとのどかな田園風景が続いていたが、田畑の中に突如イオンモールが出現。
駅の名前も「綾川(イオンモール綾川)」。


途中駅から続々と乗り込んできた、めいめいがおめかしした女子中学生とおぼしき女の子たちの集団が、この駅でドドッと降りてイオンモールの方に向かっていった。
きっと、ショッピングをしたり、映画を見たり、食事をしながら気の合った友達どうしでおしゃべりをして休日を楽しむのだろう。

人の流れは周辺から中心都市に向かうのが普通だが、ここではその正反対。県庁所在地の高松市から隣町の綾川町に人が流れている。

やはりこういったアミューズメント施設の存在は大きい。
地方では高齢化や過疎化が深刻な問題になっているが、若い子たちをひきつけるにはこういった楽しみの場が必要だと思う。

それに若い子だけではない。
帰りには孫を連れたおじいちゃんやおばあちゃんたちが電車に乗ってきた。
どの子も手には買ってもらったお土産の入った袋を持っていて、うれしそうな顔をしている。お年寄りや子供たちにとってもイオンモールに来るのが週末の楽しみの一つになっているようだ。


琴電琴平線は単線なので、途中駅で対向電車とすれちがう。
終点から4つ手前の岡田駅でもすれちがったが、こちらの車両は直進し、対向車両が向かって左側の線路に入っていった。
なんとこの駅だけは右側通行になっている!



金刀比羅さんでは、暮れも押し詰まってきたので初詣客を迎え入れる準備であわただしい。


それでもここ表書院は静けさに包まれていた。
この日のメインテーマは表書院の円山応挙(1733-1795)の障壁画。
水飲みの虎が表書院の門の前でお出迎え。

受付を入ってすぐが鶴の間。
その隣が虎の間で、次に七賢の間、山水の間、上段の間と続く。

虎の間では、いろいろなしぐさや表情をした虎が描かれているが、応挙の虎はどれも猫のように可愛い。
桃山時代ならともかく、鎖国してからかなりの年月がたった応挙の時代は、絵師たちも本物の虎を見る機会はなかったであろう。

これは応挙がモデルにした猫?
何も知らず参道にたたずんでいる。


こちらは受付でいただいたパンフレット。
上段の間(右下)には迫力のある滝が描かれていて、水の落ちる音が聞こえてくるようだ。


右側にある虎の顔がどれも猫のようにかわいい。


このあとは参道の階段を上って御本宮でお参り。
御本宮前の舞台から見る讃岐平野はどこまでものどかに見えて、何となくほっとする。



お昼は、何年か前、金刀比羅さんにお参りに来たときに食べておいしかった浪花堂餅店の餅を食べようと決めていた。
以前はなかったが、今では参道に新しいお店を出していて、奥で座って食べられて、お茶までセルフサービスで飲めるのがうれしい。
写真は5個入りあん餅で、左からヨモギ、白、キビ、黒豆、アワ。餅にはこしがあり、中には自家製の粒あんがたっぷり入っているので結構腹もちがいい。


食事のあとは宝物館へ。

ここには狩野三兄弟(探幽、尚信、安信)が手分けして描いた三十六歌仙額が展示されている。
こぎれいにまとめる探幽、大胆な筆づかいの尚信といった印象のある二人の兄と比べて実力的には見劣りのする末っ子の安信ではあるが、三人とも気合を入れて衣装の細やかな模様なども丁寧に描いていて、安信もそれほどそん色のないできになっている。「安信再発見」です。

宝物館は北宋・徽宗皇帝の「白鷹図」を所蔵しているので楽しみして来たが、今回は展示されていなかったのは残念。展示している時を見計らってまた来なくては。


宝物館については→金刀比羅宮宝物館公式サイト をご覧ください。

ここであらためて金刀比羅宮のホームページをチェックしてみたら、この時期限定で奥書院も公開しているという。
奥書院の伊藤若冲の障壁画「花丸図」は7年前に東京藝大で開催された「金刀比羅宮書院の美」展で本物と複製で再現された上段の間を見たが、できればその場で本物を見てみたい!
期間は11月30日まで。ん~、行ってみたいけど行く時間はたぶんないだろうな~。

(瀬戸内紀行はここでおしまいです。引き続き南紀紀行を続けますが、今年も残りあとわずかなので、ペースを早めてアップしていきます(汗))
〈Y〉







2014年9月8日月曜日

夏の京都週末日帰り旅(1)国宝の茶室「待庵」

7月5日(土)、8月23日(土)と2か月続けて、京都へ週末日帰り旅をしてきました。

7月に行ったのは秀吉が明智光秀を討った山崎の合戦の舞台となった山崎。
ちょうどNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が、本能寺の変→中国大返し→山崎の合戦といった中盤のクライマックスの時期だったので、とてもタイムリーな旅行でした。

今回のメインは、日本に三つしかない国宝の茶室のうちの一つ「待庵」。
大山崎町歴史資料館でふるさとガイドさんたちと合流して、山崎の歴史についておさらいしたあと、「待庵」に向かいました。
秀吉が千利休に作らせた「待庵」は、現在ではJR山崎駅前の妙喜庵の中にあります。

毛利討伐のため備中高松城を水攻めしていた秀吉は、本能寺の変を聞くとすぐさま毛利と講和して引き返し、山崎の地で陣を敷くと、陣中に千利休を招き茶室を作らせました。
その後、茶室は解体され、元和九年(1623年)頃、この妙喜庵に移されたと言われています。

落ち着いたたたずまいの庭と待庵。






待庵の次は、天王山の上り坂を登り、アサヒビール大山崎山荘美術館に入りました。



美術館のテラスからは山崎の合戦の舞台となった古戦場が一望に見渡せます。



明智光秀の肖像画をよく見ると、唇を丸くすぼめてかすかに口をあけています。光秀はおちょぼ口だったのでしょうか。だから同じおちょぼ口の春風亭小朝が光秀役に選ばれたという訳ではないでしょうが、信長の専横ぶりに耐える場面や、やむにやまれず決起したときの悲壮感あふれる表情など、小朝はいい味を出してました。

美術館の次は山崎の合戦のとき秀吉が本陣とした宝積寺。

ここには軍議の時に秀吉が座ったという「出世石」。

案内してくれたふるさとガイドさんが「この石に腰かけると出世できますよ」と説明してくれましたが、柵があるのにいったいどうやって座るのかと思っていると、そのふるさとガイドさん、柵をひょいとどけて、「はいどうぞ」。
今さら出世でもないが、と思いつつ、話のタネに石に腰かけて写真を撮ってもらいました。

ふるさとガイドさんたちとはここでお別れして、豆腐料理で有名な「いっぷく亭」で少し遅めの昼食。
がんもやゆば巻きに甘めの白味噌の味がぴったりで、とても上品な味でした。


午後は眼の観音さま柳谷観音、立願山楊谷寺。


この時期はあじさいのお寺としても有名です。


眼病に霊験あらたかな弘法大師さんの独鈷水。



そして最後は学問の神様 菅原道真公を祀る長岡天満宮。


一日だけの京都旅行でしたが、国宝の茶室を見ることもできたし、いろいろなご利益のある神社仏閣もお参りしたので、きっとこれからもいいことがあるような気がしました。

今回もJR東海の50+(フィフティプラス)のツアーに参加しましたが、やはり日帰りだと、「ちょっと行ってきます」というこの気楽さが何ともいえずにいいですね。
8月も同じく50+のツアーに参加して念願の苔寺(西芳寺)に行ってきましたので、次回レポートさせていただきます。

2014年6月16日月曜日

瀬戸内 ・南紀美術紀行(3)大塚国際美術館その3

平成25年12月22日(土) 大塚国際美術館続き
 エル・グレコの部屋に入った瞬間、思わず「あっ」と声をあげてしまった。
なんと「オルガス伯の埋葬」がある!
24年前のスペイン旅行のとき、わざわざトレドに行ったのに見ることができなかった作品だ。



このときは、昼過ぎにトレドに着いて市内を散策しながらサント・トメ聖堂に向かい、近くの食堂でお昼を食べていたら、やたらに料理が出るのが遅く、食べ終わってサント・トメ聖堂の入口まで行ったらもう扉は閉まっていた。この日は日曜日だったせいか入場は3時までだったのだ。


トレドの街並み



24年前に見ることができなかった作品にようやく出会えたり、海外で見たことのある絵に再会したり、展示作品の間を歩いているだけで、なんとなく懐かしい気分になってくる。

パリ・ルーブル美術館のダ・ヴィンチ


パリ・オルセー美術館のモネ

同じくオルセー美術館のアンリ・ルソー



フィレンツェ・ウフィツィ美術館のボッティチェッリ

もう一度パリやフィレンツェの美術館めぐりをしたいと思うこともあるが、ここ大塚国際美術館でも十分海外気分をあじわうことができるので、あえて10時間もかけてヨーロッパに行かなくてもいいや、という気にもなってくる。

それでも教会の聖堂を再現した環境展示を見ると、やはりヨーロッパに行ってみたいと思うようになるから複雑だ。
これはフランスの聖マルタン聖堂壁画。


ヨーロッパの思い出にひたっているうちにバスの集合時間が近づいてきた。
やっぱり5時間では足りなかった。
また来なくてはと思いながら、大塚国際美術館をあとにした。

途中の道路は順調で、夕方6時前には高松市内のホテルに到着し、ホテルの部屋で少しくつろいでから夕食を食べに出かけた。
めざすはもちろん讃岐うどんの店。

入ったのは「さぬき麺業 兵庫町店」。
うどんがすぐに出てくるセルフの店もいいが、うどんを待つ間、甘辛の味噌で食べるおでんもまた格別。


メインは温玉ぶっかけ。



明日は金刀比羅さん詣で。
西洋から日本の江戸時代にいきなり場所も時間もトリップしてしまったようで、何となく不思議な感じだ。
(次回に続く)
<Y>






2014年5月25日日曜日

『こども展 名画にみるこどもと画家の絆』内覧会レポート

子供たちの絵を集めた展覧会「こども展」が東京六本木の森アーツセンターギャラリーで開かれています。




本展は2009年から10年にかけてパリのオランジュリー美術館で好評を博した展覧会を、日本向けに再構成したものだそうです。

オルセー美術館、オランジュリー美術館、ルーヴル美術館、マルモッタン・モネ美術館といった有名な美術館のほか、画家の遺族が大切に所蔵し、美術館でも見ることのできないプライベートコレク ションからの作品も多数出展され、約半数が個人蔵です。

また、作品のおよそ3分の2は日本初公開だそうで、出品されている画家陣も豪華そのもの!
モネ、ルノワール、ルソー、マティス、ピカソ……。今回見逃すとなかなか見られない近代絵画の巨匠たちの作品を楽しめる貴重な機会でもあります。

それでは作品の紹介を。
タイトルの通り、会場の作品にはどれも可愛らしい子どもばかり。画家のこどもへの温かい視線が込められている作品が多く、とてもかわいくて見ているとついつい笑みがこぼれてしまうものも。

中でもひと際目立っているのが素朴派、アンリ・ルソーの作品。出品作《人形を抱く子ども》は、鮮やかな赤いワンピースを着た大人びた顔の少女が描かれています。人形を大事そうにしっかりと抱きしめたぽっちゃりした姿。どっしりとした姿は会場でも存在感十分です!
(下の写真左)




クロード=マリー・デュビュッフの作品が何点か出展されています。
家族7人の肖像を、暗い背景から人物が浮かび上がるように格調高く描写した《デュビュッフ一家、1820年》には、画家本人も描かれていますが、なかなかハ ンサム!

デュビュッフ家は代々画家を輩出してきた家系で、こちらはクロードの孫、ギヨーム・デュビュッフの作品です。
左《ガブリエル・デュビュッフの肖像》:中《レイモン・デュビュッフの肖像》:右《カプリ島を背景とした5人の子どもたち》



印象派の巨匠、クロード・モネ(1840~1926年)の「玉房付の帽子を被った ミシェル・モネの肖像」は、なんとも無邪気。モデルは2歳の次男ですが、親としてのモネの暖かいまなざしが感じられます。
モネは、家族の記録用として自分の息子を描き、永く手元においていたのだそう。現代でいう写真の代わりということなのでしょうね。モネは風景を好んで描いたため、人物をアップで描いた作品はあまりありませんが、あくまでも成長の記録として残した貴重な作品です。

左:《ジャン・モネの肖像》中:《玉房付の帽子を被ったミシェル・ モネの肖像》右:《青いセーターを着たミシェル・モネ》






ルノワールの作品は、モデルは息子なのですが、女の子のよう。それも衣装やポーズなどに工夫も凝らして描いており、彼の我が子への思い入れの強さを感じさせます。

左:《遊ぶクロード・ルノワール》中:《道化姿のクロード・ルノワール》右:《ジャン・ル ノワールの肖像》



ポスターにもなっているこの絵のモデルは印象派の女流画家ベルト・モリゾとその夫ウジェーヌ・マネ(画家 エドワール・マネの弟)との間にできた一人っ子のジュリー・マネ。母親のモリゾはその成長を見つめるように、彼女を再三描いていますが、この絵はモリゾと親交のあったルノワールに注文したもの。ルノワールにしてはめずらしく、この肖像のため の習作デッサンが何点かあるそうです。

《ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども》(下の写真左)



当時の画家たちは子どもの絵に、どんな思いを託していたのでしょうか。大人が愛しいと思う子どもへの愛は、どの時代も変わることがないのかもしれません。
最後の第6章は、20世紀のレアリスト達の作品が展示されています。

他にも、第5章のフォービスムとキュビスムの中で、ピカソが描いた自身の子どもたちの絵や、彼らのために作って遊んでいた紙のおもちゃ等も展示されていたり、実際にモデルとなった子どもが当時の事を語る映像があったりと、楽しめる内容になっています。

音声ガイドは、竹内まりやさんが担当。心地よい声で作品をご紹介してくださるので、おすすめです。

なお、「こども展 名画にみるこどもと画家の絆」開催を記念して、六本木ヒルズ内26店舗で、特別メニューが用意されているそうです。展覧会前後のお楽しみにいかがでしょうか?

(掲載した写真は、美術館より特別に許可を得て撮影したものです)


<開催概要>展覧会名:こども展 名画にみるこどもと画家の絆
会場:森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
会期:2014419()629()※会期中無休
開館時間:10時~20時 (入館は閉館の30分前まで)
火曜日は17時まで


<N>

2014年5月5日月曜日

「栄西と建仁寺」展


 昨日(5月4日)、東京国立博物館で開催されている「栄西と建仁寺」展に行ってきました。
  この展覧会の一押しはなんといっても2008年の秋以来、約5年ぶりに東京に見参した俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。



さらにオススメは迫力満点の海北友松「雲龍図」。
この「雲龍図」、左右の龍を両方とも見ることができるのは明日(5月6日)までです。
紹介が遅くてすみません!
 (5月8日からは右側の龍だけの展示になります)



 実は上2枚の写真、「栄西と建仁寺」展に行く前の予習として先月の29日に京都の建仁寺に行ったときに撮ったもので、現在この方丈に入っている襖絵は高精細デジタル複製です。
 本物の襖絵は、昭和初期の大型台風で方丈が倒壊したとき、他の用件で襖をはずしていたため難を逃れ、その後、掛軸に貼りかえられて、現在では京都国立博物館で保存されています。
 今回の展覧会では、その掛軸が展示されています。

 本物は東京に来ていて、複製が京都の建仁寺にあるというややこしい状況ですが、複製とはいっても、やはり実際にお寺さんの中に入っているといい雰囲気を出しています。
 それに写真まで撮らせてくれる建仁寺さんの優しさに感謝!
 本物もいいですが、複製は身近に文化財を楽しむことができるというメリットがあります。
 ということで、建仁寺方丈の他の部屋の写真も撮らせてもらいました。

 
花鳥図


琴棋書画図



 「花鳥図」と「琴棋書画図」はいずれも桃山時代から江戸初期に活躍した海北友松の作品です。
 「竹林七賢図」が見当たりませんでしたが、これは本物も複製も東博に来ていました。


 下の写真は実際の建仁寺方丈の中央の間、室中です。この空間がそっくりそのまま東博に来て、「四頭茶会」の場面が再現されています。
 (「風神雷神図屏風」は東博では別の場所に展示されています)

 右の達磨さんの絵は、元首相の細川護熙さんの筆になるもので、ちょうどこの時、建仁寺では細川さんが描いた水墨画「四季山水図」全24面も展示されていました。それも素晴らしい作品でしたが、絵を見ていたらなんと細川さんご本人がお見えになり、来場されていた方たちと作品をバックに記念写真を撮ったり、作品の解説をされたりしていました。もちろんこちらは作品もご本人も本物でした。
 
 さて複製の方ですが、京都駅を歩いていたらどこかで見たことのある屏風が。
 
 
              

 そうです、現在ではニューヨークのメトロポリタン美術館にある尾形光琳の「八橋図屏風」です。
 2年前に里帰りしたときに根津美術館で見ましたが、海外に渡って普段見ることができない作品を目の前で見ることができるのも高精密複製画のメリットです。
 複製を手掛けたのは、キャノンと特定非営利活動法人 京都文化協会が共同で行っている綴(つづり)プロジェクト。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」や海北友松の建仁寺方丈襖絵の複製も綴プロジェクトが制作したものです。お金は相当かかると思いますが、綴プロジェクトさん、これからもがんばってください。
 

 本物と複製が錯綜して話がさらにややこしくなってしまいましたが、「栄西と建仁寺」展は東京国立博物館で5月18日(日)まで開催されています。
 5月18日までは、東博の本館でも尾形光琳の「風神雷神図屏風」を展示しています。見比べてみるのもおもしろいです。
 この作品は東博所蔵のため撮影可なので、下の写真は本物です。
<Y>
尾形光琳「風神雷神図屏風」