2013年6月26日水曜日

天気晴朗ナレド波高シ~横須賀軍港めぐり~(2)

(前回からの続き)
軍港めぐりクルーズのあとは昼食。メニューはもちろん「海軍カレー」。
「海軍カレー」のお店は迷ってしまうほどあるが、口コミ情報や店の雰囲気を考え、記念艦三笠に行く途中ということもあるので、どぶ板通りをてくてく歩いて、

「どぶ板食堂Perry」に入ることにした。


店の雰囲気はアメリカのバーそのもの。
店の奥の方では米兵とおぼしき青年たちが海軍バーガーやフライドポテトを食べながら談笑していた。この日は土曜日だったのできっとオフなのだろう。
カウンターの上の方を見上げてみると福助の人形が置いてある。こんなところは日本を感じさせてくれる。

注文して10分ほどで海軍カレープレートが運ばれてきた。
カレーライスに鳥のから揚げ、フライドポテト、福神漬け、サラダ、それに海軍カレーに欠かせない牛乳。
鳥のから揚げとフライドポテトは、アメリカン風にテーブルに置いてあった巨大な入れ物のケッチャップとマスタードをたっぷりかけた。鳥のから揚げとマスタードは意外と合うのを発見した。
そして主役のカレーは、具がよくルーに溶けて味わい深く、適度な辛さ。カレーを食べながら牛乳を飲むと、辛さがやわらぎマイルドな味が口の中に広がる。
お店の人たちの対応もさわやかだし、カレーが出てくるのも早いし、味もいいしで、この店はお勧めです。

少し遅めの昼食を終え、ふたたびどぶ板通りを歩き、米海軍基地の前を過ぎて、三笠公園に。
記念艦三笠の前で東郷元帥がお迎え。


入口の階段を上って艦内に入ると、

8センチ副砲が遠くの海原に向かってにらみをきかす。



こちらは15センチ副砲。
副砲1門につき10人の兵士が配置され、その10人はここで寝食をともにする。
真剣なまなざしの若い水兵さんたち。


寝るのはハンモック。


艦内には当時の調度品もきれいに保存されている。
ここは司令長官浴室。
艦内に浴室があるのはあとは艦長用だけ。


こちらは執務室。家具は当時のまま。
 

艦尾近くの司令長官公室。ここで来賓のレセプション、戦時には作戦会議などが行われた。

三笠に来るのはおそらく40年ぶりぐらい。
日本海海戦の紹介ビデオも昔はフィルムだったが、今ではCG。
時代は変わったものだ。
けれども以前は見かけなかったこのジオラマのアナログ感は、何とも言えない味わいがある。
手前はロシア・バルチック艦隊が北上しているところ。
奥の聯合艦隊は、敵艦隊を前に一斉回頭している。のちに有名になった「東郷ターン」だ。
戦艦の主砲部分の豆電球が時おり光り、主砲を発射しているように見せている。
戦艦群のそばには敵の砲弾が飛んできて水柱が立つ凝りようだ。
これはいつまで見ていても飽きない。



それにしても艦内には若い女性のグループが多い。
ここでも若い女性の二人組が興味深そうに見入っていた。
若い男性もいたが、みんなカップルで来ていたので、圧倒的に女性の比率が高い。
歴史の好きな女性たちのことを指す「歴女(れきじょ)」という言葉があるが、彼女たちは、「歴女」の中でも特に近現代史や軍事に興味をもつ「軍女(ぐんじょ)」なのだろうか。

艦橋に上り艦首方向を臨む。


探照灯が可動式だというのは知らなかった。


艦首方向から30センチ主砲、マストを臨む。


マストには、日本海海戦の時と同じくZ旗がはためいている。


甲板には三笠が使った砲弾も展示されている。


主砲はしっかり対岸の米軍基地に照準を合わせている。


そして最後に艦首方向から全景を臨む。


久しぶりの三笠。
こんなに見ごたえあるものだとは思わなかった。
閉館間際までたっぷり2時間は艦内にいた。
この日のおみやげはZ旗(小)250円。


昼間は晴れていて気温も高く、それによく歩いたので、さすがにのどが渇いてきた。
三笠を出た後は、横須賀中央駅の方に向かい、途中の鮮魚居酒屋で打上げ。
ビールがおいしかった。
<Y>
(「天気晴朗ナレド波高シ~横須賀軍港めぐり~」終わり)

2013年6月24日月曜日

天気晴朗ナレド波高シ~横須賀軍港めぐり~(1)

このところ梅雨らしい日が続き、台風まで接近してきたので天気が心配だったが、先週の土曜日は朝から晴れ間が見えてきて絶好の軍港めぐり日和になった。
あと気がかりなのは日本の護衛艦や米軍の艦船がどれだけいるかだ。
こればっかりは軍事機密なので事前にはわからない。

ということで期待と不安を胸にまずはJR横須賀駅。


軍港めぐりの汐入ターミナルまではヴェルニー公園の中を歩いていくことになる。
公園に入ってすぐに目に入ったのは灰色の鋼鉄のかたまり。
よかった、護衛艦だ。



DD-156は第二世代汎用護衛艦「あさぎり」型の「せとぎり」。定係港は大湊なので訓練の途中で立ち寄ったところなのだろうか。
手前は第三世代汎用護衛艦「むらさめ」型の「ありあけ」。「ありあけ」も定係港は横須賀でなく佐世保だ。




汐入ターミナルでチケットを買い、桟橋に向かうと、すでに乗船を待つ人の長蛇の列。
親子連れや年配のご夫婦、若いカップル、いかにも軍艦マニアのおにいさん、とさまざま。軍港めぐりは幅広い世代に人気があるようだ。

これが私たちの乗船する「Sea Friend Ⅴ」号。


定時に出航してまず出迎えてくれたのは鋼鉄の黒い塊、海上自衛隊の潜水艦だ。

続いて米海軍イージス艦 アーレイ・バーク級のラッセン(Lassen DDG-82)。


「こんごう」とか「きりしま」とか山の名をもつ日本のイージス艦は、その名のとおり見上げるほど艦橋が大きく威風堂々としている感があるが、アメリカのイージス艦の艦橋はコンパクトにまとまっている。


さらに進むと、イージス艦ジョン・S・マケイン(John S.McCain DDG-56)。
ジョン・S・マケインは、昨年12月に続き、今年4月にも北朝鮮の弾道ミサイル発射の動きに対応して
朝鮮半島沖に派遣されていた。


任務を終えて横須賀に戻り、フェイズドアレイレーダーの調整を行っている珍しいシーン。

 


米第七艦隊のイージス艦群。左からモンセン(Momsen DDG-92)、ステゼム(Stethem DDG-63)、カーティス・ウィルバー(Curtis Wilbur DDG-54)、そしてジョン・S・マケイン。
これだけ多くのイージス艦が並ぶと壮観だ。
世界中に103隻しかないイージス艦のうち84隻も保有しているアメリカの海軍基地ならではの光景。


イージス艦の隣、赤と白の巨大なクレーンの横が原子力空母「ジョージ・ワシントン」の停泊地。
前日の朝に出航してしまったようだ。

海上自衛隊のエリアに近づいてい来ると、珍しく退役した潜水艦が係留されている。
本来であれば解体されるのだが、そのまま保存されているのは珍しいという。


赤と白の鉄塔のある建物は自衛艦隊司令部。
前に停泊しているのは、右から海洋観測艦「にちなん」(AGS5105)、「しょうなん」(AGS5106)。


こちらは掃海艇「はちじょう」(MSO303)。
海上自衛隊もFRP(繊維強化プラスチック)製掃海艇にシフトする中、貴重な存在となった木造の掃海艇。

軍港めぐりとは関係ないが、我が横浜ベイスターズの練習場。

4月1日に退役したばかりの第一世代汎用護衛艦「はつゆき」型の「さわゆき」。
「はつゆき」型の特長である船体中央の大きな煙突がよくわかる。
「はつゆき」型は昭和57年から62年までに12隻建造され、すでに旧式化しているため、4隻が除籍、3隻が練習艦に種別変更され、5隻だけが護衛艦籍に残り、地域配備部隊に配属されている。


「さわゆき」の隣が、新兵器などを搭載し試験を行う試験艦「あすか」(ASE6102)。


続いて補給艦「ときわ」(AOE423)。


そしてこちらはヴェルニー公園からも見えた第二世代汎用護衛艦「あさぎり」型の「せとぎり」。
「あさぎり」型は昭和63年から平成3年までに8隻が建造され、一時練習艦に種別変更された艦もあったが、現在ではすべて護衛艦籍にある。
後部の巨大なヘリ格納庫が大きな特長。


続いて現時点での最新鋭護衛艦「てるづき」。
「てるづき」は第五世代汎用護衛艦「あきづき」型の2番艦で、今年の3月に就航したばかり。
「さわゆき」や「せとぎり」に比べて洗練されたスマートな船型になっている。
「あきづき」型はあと2隻、「すずつき」と「ふゆづき」が建造中で、来年3月に竣工予定。


こうやってヘリ格納庫の中まで見えると、プラモデルをつくるときに役に立つからうれしい。

「てるづき」の後ろは、やはりヴェルニー公園から見えた「ありあけ」。
「ありあけ」は、平成8年から14年までに9隻建造された第三世代汎用護衛艦「むらさめ」型の最終艦。
船体があか抜けてきたのは第三世代からだろうか。



日本のイージス艦「きりしま」やヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」も、さらに「ジョージ・ワシントン」も不在だったが、五世代のうち四世代の汎用護衛艦のスタイルの違いを期せずして比較することができたのは大きな収穫。
平成15年から18年にかけて5隻建造された第四世代汎用護衛艦「たかなみ」型は見ることができなかったが、「たかなみ」と「おおなみ」は「てるづき」と同じ第6護衛隊に属し、横須賀を定係港としているので、いつかはお目にかかることができるだろう。
45分のクルーズを終えたばかりであったが、また近いうちに来たくなった。
<Y>
(次回に続く)

2013年6月4日火曜日

「夏目漱石の美術世界展」ブロガー特別内覧会

先週の金曜日、東京藝術大学大学美術館で開催中の「夏目漱石展の美術世界展」のブロガー特別内覧会に参加してきました。
内覧会は18時30分に始まり、最初に大学美術館 古田亮准教授のユーモアをまじえたミニトークで見どころや主な出展作品についての解説をいただきました。


(主な内容)
・ 今回の展覧会では漱石の頭の中にある絵画的イメージが、どのように小説に映し出されているか見ていただきたい。
・ 『こころ』に出てくる渡辺崋山の「黄粱一炊図」は東京のみの展示
・ この展覧会のために制作された作品が2点あるのでこれも見どころ。
 「虞美人草屏風」(『虞美人草』に酒井抱一作として出てくるがおそらく架空の作品)
 「森の女」(『三四郎』の登場人物・原口画伯の作品)
・ まず見ることから初めてください。そして作品を読んでいただきたい。
・ 漱石自筆の作品もあります。辛口の批評をする漱石ですが、自分の作品となると
首をかしげたくなります。ここまで絵を見てくると疲れるので、息抜きにどうぞ。(笑)

などなど、とても楽しいトークで、今回の美術展に対する期待が高まります。

古田准教授のミニトークのあとは20時30分まで自由鑑賞。

まずはお目当ての日本画。
渡辺崋山の「黄粱一炊図」は、蛮社の獄でとらえられた崋山がこの絵を描くために死期を一週間繰り延べたという作品。
涙なしには見られない作品です。

他にも俵屋宗達、円山応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、岸駒、と江戸時代を代表する絵師たちの作品がずらりと並び、解説を読んでいくと、漱石がそれぞれの絵をどう感じていたかがよくわかり、絵に対する興味もますます深まっていきます。



実は西洋画にはあまり関心がなかったのですが、漱石ゆかりのイギリスの画家の作品がいくつか出展されていて、ターナーの絵全体にかかる光と靄(「金枝」)、リヴィエアーの夕日に染まる空(「ガダラの豚の奇跡」 日本初公開だそうです)、ミレイの暗闇(「ロンドン塔幽閉の王子」)などなど、ラファエル前派などの西洋美術に関心のある方にとっても見逃せない作品が並んでいました。

 

それに漱石と同時代の横山大観、寺崎広業の「瀟湘八景」も見ごたえ十分でした。
特に寺崎広業という方は、私が知らなかっただけかもしれませんが、初めて作品を見た方でした(この作品に対する「子供の様な大人のする丹念さ」といった漱石のコメントも面白かったです)。
こういった新たな出会いがあるのも美術展の楽しみのひとつです。

展覧会の図録もとても充実した内容です。
鑑賞後にじっくりと漱石の作品と今回の出展作品との関係について学ぶことができ、美術評論としても読むことができます。



この展覧会は7月7日までで、その後は静岡県立美術館で7月13日(土)から8月25日(日)まで巡回展が開催されます。
「文豪」夏目漱石を美術という観点からとらえ直す、これまでに(これからも?)ない貴重な企画です。
漱石ファンはもちろん、そうでない方も十分楽しめる内容ですので、この機会にぜひご覧になることをおすすめします。〈N〉

(今回撮影した写真は美術館より特別な許可を得て撮影しています)

2013年5月7日火曜日

関西トラ紀行

ゴールデン・ウィークを利用して虎の絵を見に関西に行ってきた。

ひとつは西宮市大谷記念美術館で開催中の「とら虎トラ」展。
甲子園球場がオープンして来年で90年になることを記念して開催されているもので、パンフレットのキャッチコピーが「若冲・応挙・芦雪からタイガースまで、トラ大集合!」となっている。
私は地元・横浜ベイスターズのファンで、決してタイガースファンではないが、大好きな虎の絵が見ることができるので、この時ばかりは阪神タイガースに感謝。


ロビーには応挙の水呑みの虎がお出迎え。


館内で写真撮影ができるのはここだけ。虎の横に座り記念写真をとっている親子もいた。

展示室は4つあり、1階の第一展示室は「甲子園の歴史と阪神タイガース」。
ここはさっと見て、同じく1階の第四展示室「岸派と近代の虎」に移った。
この展示室でのお気に入りは岸駒の初期のかわいい系の虎と、少しおさえ気味の迫力を感じる岸連山の六曲一双の「龍虎図屏風」。
次は2階に移り、第三展示室「長崎派の虎」。
長崎派というとどぎつさが特徴だが、流し目の可愛い虎もいたし、まるで想像上の動物のように描かれていた虎もいてけっこう楽しめた。
そして最後はこの展覧会のメイン、第二展示室「近世の虎」。
もちろん応挙の水呑みの虎もいる。他にも探幽、若冲、芦雪と江戸時代を代表する絵師たちの虎の絵が集まっている。

この展覧会では展示してある虎の総選挙を行っていて、受付で投票用紙をもらい、すべての作品を見たあと、投票所で投票するようになっている。
中間結果速報は美術館のホームページで随時発表していて、5月5日まででは応挙の「水呑虎図」が第一位になっていた。

さて、どの虎に投票しようか、「水呑虎図」では面白みがないな、少しひねりを入れようかなどと迷った末、ユニークさをとって英一蝶の「豊干寒山拾得図」の虎に投票した。
これは同じく出展されている芦雪や久隅守景の「四睡図」のパロディ。
「四睡図」は、中国・唐時代の豊干禅師とペットの虎、奇僧・寒山と拾得が仲良く眠っている図だが、英一蝶の作品は、豊干禅師が乗っていた虎がきゅうに伸びをしたので、豊干禅師があわてて虎から落ちそうになっているところを、寒山と拾得が一人は手をたたき、一人は両手を上げてはやし立てているというもの。
「重たいな」と言いたげに大きく口をあけて伸びをしているときの虎の表情がなんともいえず微笑ましい。パロディ好きの英一蝶らしい作品。
投票したあとミュージアム・ショップに寄ったが、この作品の絵はがきはなく、ここで紹介できないのは残念。

大谷記念美術館は庭園も素晴らしい。




もう一つは京都国立博物館の「狩野山楽・山雪」展。

つつじの海に浮かぶ京博。


 こちらは展覧会パンフレット



 

お目当ての一つは山楽の「龍虎図屏風」。
4年前に同じ京博で開催された「妙心寺」展以来だが、いつ見てもそのすごさに圧倒されてしまう。
ピカピカの金箔の上に風とともに空中に現れた龍、それを振り返って睨み返し、咆哮する雄の虎。ゴージャスな桃山時代の雰囲気そのものだ。これほど豪華で迫力のある「龍虎図」は他にない。
これが「とら虎トラ」展に出品されていたら、文句なしにこの作品に投票するのだが。
(これはミュージアム・ショップで購入した絵はがき)
この展覧会は、全8章のうち冒頭の2章以外はすべて山雪作品のオンパレードで、「山雪とその師・山楽」といってもいいくらいだが、「龍虎図」に関していうと山楽に軍配が上がる。
作品番号42、山雪の二対の掛け軸は、龍が現れても迷惑そうに水を飲んでいる虎で、戦意は感じられない。もちろん龍など何するものぞ、という余裕を感じることもできるが。
また、作品番号78の「龍虎図屏風」は、龍も目玉が上を向いて「あれ、ここどこだろう」といった表情だし、虎も前足をお行儀よくそろえて、目はぎょろっとしてやはり「なんか変なのが出てきたけど、どうしよう」という顔。

しかし他の作品は細部へのこだわり、過剰なまでのデフォルメ、などなど山雪ワールドを展開しているし、「長恨歌図巻」のようにアイルランドから里帰りしたり、もともと襖の表裏だったものがニューヨークとミネアポリスに分かれてしまい、50年ぶりに対面したり、もう二度とこれだけたくさんの山雪の作品を見ることはできないのではないかと思う。

パンフレット裏面

毎年恒例となったゴールデン・ウィークの関西旅行。
この時期は気候もいいし、普段は公開しない文化財の特別公開もある。
やはりゴールデン・ウィークの関西ははずせない。


(「とら虎トラ」展は5月19日(日)までで、「山楽山雪」展は5月12日(日)までです。両方見るには来週末がラストチャンスです。)
<Y>



2013年2月11日月曜日

沖縄戦跡紀行(5)

平成23年10月29日(土)続き
首里駅からゆいレールに乗り、奥武山公園駅で下車。
そこから那覇バス33番糸満西原線に乗り、豊見城公園前のバス停で降りて旧海軍司令部壕に向った。
那覇の南西、現在の那覇空港にあたる海軍小禄飛行場を見下ろす丘にあったのが、沖縄の海軍守備隊を指揮した大田実少将率いる沖縄方面根拠地隊の司令部である。

入口から続く階段を下りて行くと、中は横穴が続いていて、ところどころに作戦室、幕僚室、兵員室、医療室などが配置されている。

陸軍第32軍が首里を放棄し、5月27日に南下したあと、孤立した海軍守備隊は米軍の総攻撃を受けた。最期の時を悟った大田少将は、沖縄県民の献身的な協力ぶりを海軍次官あてに打電し、6月13日、壕内の司令部室で自決した。
「沖縄戦跡紀行(1)」でも紹介した「沖縄縣民斯ク戦ヘリ」で始まる電文には、県民を思った大田少将の人柄がにじみ出ている。


このような通路を通り、大田少将をはじめとした幕僚が自決した司令部室の前に立ったが、ここで最期を迎えたのかと思うとどうしてもカメラのシャッターを押すことができず、一礼して司令部室をあとにした。

次に向かったのが今回の戦跡紀行の最後の目的地「シュガーローフ・ヒル」。
奥武山公園駅からふたたびゆいレールに乗り、おもろまち駅で下車。首里の方に向かって左後ろの小高い丘がシュガーローフ・ヒルだ。
棒状の砂糖菓子に形が似ているところから米軍がシュガーローフ・ヒルと名づけ、高さが約52mあるので日本軍が「安里五二高地」と呼んでいたこの小さな丘は、首里の西側に位置する。ここが占領されれば、司令部のある首里が直接攻撃されることになり、また、東側にも米軍が迫っていたので、首里は包囲されてしまう。
5月12日に始まったシュガーローフ・ヒルの戦いはまさに首里をめぐる攻防戦であり、沖縄戦最大の激戦となった。
戦いは1週間続いた。
連日の突撃で戦力を消耗した米第6海兵師団は定数の1/6に相当する約4,000人が死傷し、一方の日本軍は米軍の火力の前に独立混成第44旅団がほぼ壊滅状態になり、5月18日、シュガーローフ・ヒルは陥落した。
今は那覇市上下水道局の安里配水池になっているこの丘には壮絶な戦いの跡を示す案内板がある。


現在のシュガーローフ・ヒル。


丘の上には展望台があり、シュガーローフ・ヒル周辺を見渡すことができる。
展望台に上ると、高校生のカップルが地べたに座り、仲睦まじく話をしていたので気が引けたが、
「ちょっとお邪魔します」と一言断って周囲の写真を何枚か撮った。

 
おもろまち駅の西側は返還された米軍施設の跡地で、DFSギャラリアをはじめショッピングモールやシネマコンプレックスの大きな建物がずらりと並んでいる。
かつての激戦地も今は平和そのもの。
きっと若いカップルもここで日米両軍が激突したことは知らないんだろうな、などと考えながらこの場を去ることにした。帰り際に二人の方をちらりと見たが、私のことなどまるで存在しないかのように楽しそうに話をしていたので、今度は声をかけずにその場を離れた。
 
 

階段を降りようとしたとき、ここでもやはりキャタピラの音が聞こえた。振り返ると隣の敷地で大規模な建設工事が行われていた。
沖縄では暑い夏を避けて、秋になると工事を始めるのだろうか。
あとでこの周辺の案内地図を見たら、「市行政施設予定地」とあった。



シュガーローフ・ヒルにはお寺と教会が隣り合わせで並んでいる。
これも激戦地であったことと無関係ではないであろう。
こちらは琉球山法華経寺。



お寺の案内板を見ると、戦後、沖縄に寺院を建立するにあたりこの地を選んだ、とある。
鐘楼の前の卒塔婆には「沖縄戦敵味方一切の殉難者及び戦没者の霊之追善」と書かれている。
私はさらに階段を上り、本堂の前まで進んだ。そこで今回の沖縄戦跡紀行の最後に、手を合わせ、沖縄戦の多くの犠牲者たちの冥福を祈った。
帰り際、住職さんとおぼしき男性とすれ違った。
お互いに「こんにちわ」と気持ちよく挨拶。


こちらはカトリック安里教会の大きな建物。




夕方の6時近くになると日も暮れて、あたりも暗くなり始めてきた。
帰りの飛行機の時間も迫ってきたので、おもろまち駅まで戻り、那覇空港駅に向かうことにした。
乗る飛行機は那覇発19時35分のスカイマークSKY520便。
羽田に着くのが22時ちょうどなので、あまり時間はなかったが空港内の食堂で夕食。
入ったお店は「どんぶりの店 志貴」。店の前に「パパイヤ丼」の表示があったので、迷わずこれを注文した。パパイヤ丼は熟していないパパイヤとコンビーフの炒め物をご飯の上にのせたもの。
それに沖縄そば。あまりおなかはすいていなかったが、今回は沖縄そばを食べていないことに気がついたので、迷った挙句、注文した。でもこの店ではそばは小盛もできるので助かる。
時間がないと言いつつ、オリオンビールの生はいつの間にか2杯も飲んでいた。


 
食べ終えた後に気がついたが、沖縄そばにコーレーグース(島とうがらしの泡盛漬け)を入れるのをすっかり忘れていた。
次に来るときは絶対に忘れないようにしよう、そう心に決めて沖縄の海をあとにした。
 
1泊2日のあわただしい旅であったが、旅を終えてみると、長年心の中に引っかかっていた宿題にようやくとりかかることができて、少しは肩の荷が軽くなったよう気がした。
もちろん沖縄戦の跡をすべてを見ることができたわけではないし、本文中にも書いたが、沖縄に大きな影を落としている米軍基地をめぐる旅もまだ残っている。
今回の旅行のあと、おととしと去年の12月にふたたび沖縄を訪れているが、こちらはどちらかというと「ゆるむ」旅。このときはそれぞれ別の定期観光バスやツアーに参加したので、行く場所が重複して2回とも琉球村に行ったが、飽きることなどなく、獅子舞や踊りのショーを見ないと年が越せないと感じるほど沖縄が自分の体に馴染んできているのを感じた。
やはり沖縄行きはやめることができない。
 
下の写真はおととしの12月のときの芸能ショーの様子。
 
 
こちらはおととしの12月に食べた沖縄そば。
コーレーグースは忘れないようにしっかり沖縄そばの横に置いた。

 
 (あとがき)
連載を始めたのが旅行から帰ってきて9か月後。それから半年かかってようやく終わりまでもってくることができました。読者のみなさまには、気長におつきあいいただき心より感謝しております。
これからは少なくとも月に1回は更新しようと強く心に決めていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
<Y>
(「沖縄戦跡紀行」終わり)